プロローグ

「廊下を走っただけでペナルティが課せられるなんて、考えたこともなかったです」
「でも……入ってすごく良かった。だって、こんなに誰かのことを大好きって思えるような気持ちを知ることができたんだもん!」

嬉しそうな未羽の笑顔に、つられるように織歌の表情も和らいでゆく。

「わたしも、こんな気持ち……初めてよ。誰かを大好きって思える気持ちが、こんなに優しくて強いものだなんて、初めて知ったわ……」

クスッとかぐらが微笑んだ。

「そうだね……わたしも、この学苑に来て、誰かを思う気持ちの嬉しさや辛さを知ることができたの。あなたたちも、この学苑でわたし以上に、もっと深い経験ができるかもしれないね」

未羽はにっこりと笑って大きく頷き、織歌は照れたように小さく頷いた。
2人の後輩の身体から手を離して、かぐらは元通り、フォルテールに向き直る。

「さ、おしゃべりはこのくらいにして、そろそろ練習を始めようか」

フォルテールという魔導楽器がある。
魔力を持った人間のみが奏でられるという不思議な楽器で、その音色は『魔導楽器』というまがまがしい名前が示すとおり、一度聞いたら二度と忘れられない音色をしているという。
そして、この音色は、人の心に作用する効果もあり、一時期は戦争に有効利用できないかという研究が行われていたのだとか。

無論、人々に癒しを与えるための楽器を戦争に利用するなど言語道断という世論が高まり、その研究は永久凍結された上で、フォルテールそのものに、人の心を左右する魔力を減じる措置がなされたという。
後輩2人を指導しながら、そのフォルテールを奏でているのは、宮藤かぐら。桜立舎学苑の2期生で、フォルテール奏者として、学苑内ではすっかり有名になってしまった生徒である。
というのも、去年、彼女が1期生の時に、学苑のコンクールの出場者として選出され、いろいろあった末に、優秀な成績を収めることができたからである。
この学苑のコンクールは、卒業後の音楽家としての人生を左右するとも言われる。少なくとも、ここで優秀な成績を残すことは、すなわち、来賓として呼ばれた音楽家へのアピールにも繋がるということで、在校生にとって、垂涎の的ともなっているのだ。
そのかぐらに抱きついて甘えていた少女は、上月未羽。かぐらと同じく桜立舎学苑の声楽科の1期生で、フォルテールの音は出せないものの、かぐらの練習楽曲に合わせて歌をうたうために、毎日のように練習室に顔を出している。
そして、最後に現れて、控えめな感情表現をしていたのは、二波織歌。未羽と同じく1期生だが、フォルテールの天才奏者として既にリサイタル経験を持ち、この学苑へも、特別待遇生として入学している。

―――これは、フォルテールの不思議な音色が導いた、人と人との絆のお話。

< 続く >
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